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2008年1月18日金曜日

商売とは


商売とは何か?

それは、相手のためになることを提供する行為。

そう思います。

決して、お金儲けのためのものではありません。

結局はそういうことだと思います。

人に喜んでもらうために、自分が何ができるのか。

商売繁盛で、お金を儲ける行為は一見、卑しくも見えることもある

しかしながら、根っこの部分に人に喜んでもらいたい。

この気持ちがあるならば、それは、卑しくもなんともない。




お金は悪の根源だという人がいます。

また、聖書にもお金を愛する人は悪の根源だ見たいな記述があるそうです。

2つは、実によく似た言葉ですが、大きな違いがあります。

お金はただの手段。道具に過ぎません。

お金をどう使うか、これは使う人間の責任です。

お金は、良くも悪くも使えるものです。

稼ぐ時も、使う時もお金を人のためになるように有効に使いたいものです。

こういう内容の話は、よく耳にしますが、私も同感です。



私の、先輩に大きな商売をして社会に貢献しようとした人がいました。

それは、成功するかに見えました。

しかし、彼の提供する素晴らしいサービスに応えてくれる人はごく少数でした。

彼は、お客のため、従業員のため、みんなのために最大限のサービスを与えてくれました。

が、みんなは彼の好意を、ただのお人よしとみて、食い尽くしてしまったのです。

彼は、20年以上もの長い歳月にわたって奉仕の精神を保ち続けましたが、
ついに所謂レパートの8020の法則。的な考えに落ちてしまいました。

彼は、まわりの人間をあきらめてしまいました。

どうせ、駄目な人間は駄目なんだ。相手にするだけ無駄というわけです。

今までの歴史を見ても、
彼の20年以上もの実証を通しても、

もしかしたら、
駄目な人間は駄目。

これは、真実なのかもしれません。

しかし、私は、それを認めたくはありません。

味の分かるやつは少数。
音楽の分かるやつは少数。
絵の分かるやつは小数。
政治の分かるやつは少数。
ビジネスの分かるやつは小数。
人の道を分かるやつは小数。

確かにその通りかもしれません。

それでも、分からないやつに、分かるやつは呼びかけて欲しい。

呼びかけることは続けて欲しい。

何か、他の人が知らないことがあるならばそれを教えて欲しい。

私は、呼びかけを止めない。

良い物があれば、教えたくなるのは当たり前のことじゃないでしょうか。
喜びは共有してこそ喜び。

共有する人が一人もいなければ、それは何と虚しいことでしょう。

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